


昨日の新聞6社、FAX、回覧等の訃報で、もうご存知の方も多いかと思いますが・・父が亡くなりました。
新聞屋さんから発表の前には書けなかったので・・
もっとも恐れていたその時がきました
去年の夏、
コンベンションの大きな仕事としての“夏祭り”がひと段落したところで
町の病院に静養も兼ね
検査入院をした時のことです。
ある日突然40度の熱がでて
肺炎にかかり 救急車でICUに運び込まれました。
前日までは元気で歩き周り、暇そうにしていたのに。突然。
泣きわめく妹の前で動揺を隠すので精いっぱいでした。
母が病院に到着するまではしっかりしようと。
お医者様達の懸命な治療により一命をとりとめました。
ひと月、ふた月
良くなっては又悪くなりを繰り返し
気がつけば数か月が経ちました。
その間 母は一日も欠かさず見舞いにいきました。
年末年始の忙しい時期でもありましたが
なにがあろうと会社では笑って気丈に振る舞う母の姿がありました。
きっと良くなると思っていたのに。。
1月の28日
急に血圧が低くなったので
病院に待機するよう連絡がありました。
家族全員 病院に向かいました
いつもと違った様子です。
前日までは、話しかけると頷いたり手を挙げてくれていたのに・・
母が、父の体を大きく揺すり、大きな声で呼びかけていたのが記憶にあります
目の前の血圧のメモリがどんどん下がり
父は静かに逝ってしまいました・・
こんなに哀しいことははじめてでした。
家に戻った父親の横に布団を並べ3日間一緒に眠りました。
夜中に何度も目が覚め 横にいる父を眺めながら
いままでのは全て夢だったのかと間違えるほど安らかな横顔でした。
朝になると現実に戻り
葬儀の日まで泣いて泣いて過ごしました。
でもどうやら
本当に涙が枯れてしまったようです。
今日は仕事中、涙がでませんでした。
夏のあの日から、不安で不安で夜な夜な泣いて過ごしてきたので
もう涙も打ち止めのようです。
私はどうも依存症なのか、幼いころから
「どうか両親が長生きしてくれますように・・」といつもお祈りをしていました。
勿論元気でピンピンしている時からです。
こうすれば親が喜ぶ。ああすれば親が喜ぶ、と、そればかり考えてきました
いつの間にか親の喜ぶ顔が自分の生きがいになっていた気がします。
馬鹿だなあと思われるかもしれませんが。
そしてついに、もっとも恐れていたその時がきました
まさか67歳の若さで、しかもつまらない肺炎なんかで・・
どうせなら大好きなお酒で逝かせてあげたかった
数年前の放射線治療で、悪い細胞だけではなく良い細胞にもダメージをあたえ
結果的には抵抗力が落ちてしまったことが原因だったらしい。
悔やんでも悔やみきれないけど
父は涙が嫌いでした。
みんなが笑っているのを少し離れたところで見ているのが好きでした。
自分の葬式は 酒を飲み芸者をよんで騒いでほしいと言ってました。
3月1日にお別れの会を行います。
名誉葬儀委員長は上田知事、葬儀委員長は清水勇人市長、副委員長は武蔵野銀行加藤頭取
18時ころからはじめる予定です。
この日は大勢のみなさんとお酒が飲みたいです。
ありがとうございました。
。
明日からまた元気になる予定です。
両親との思い出の写真です。

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